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ポプテピに見るオタクとサブカルの融合

 先般Twitter上でポプテピピックと電気グルーヴのクソコラが流行し、それに石野卓球氏が反応したばかりかついに公式でポプテピ×電グルのコラボTシャツが売り出されるに至ったのは周知の通りである。

 これは実に、他で例えるなら出雲国造千家国麿氏と皇室の典子女王とのご成婚にも匹敵するような歴史的事象であると思える。いや、もしかするとベルリンの壁崩壊と比べても遜色ないと言っても過言では無いかもしれない。現代オタク界の最先鋭とも言えるポプテピと、サブカル界の重鎮電グルとの歴史的邂逅である。

 本来オタクとサブカルは水と油であったはずだ。オタクはサブカルを嫌悪し、異種であると認識し、排斥してきた。だからこそポプ子は「サブカル糞女」と呪詛のように吐きながら憎み続けてきた。しかしここにきてサブカルの権化とも言うべき電グルが接近してきたのである。だがこの流れは何も昨日今日始まったことではない。 

 思えばサブカルとオタクの融合はオーケンこと大槻ケンヂ氏がアニメ版絶望先生のテーマソングを担当した2007年に既に始まっていたのである。いや2006年に『N・H・Kにようこそ!』にて同氏がEDテーマを担当していた。それから10年あまり。その流れが加速しているのである。オーケン氏は昨今ではイヤホンズとも共演しており、単なる一過性のものでは終わらない様相を呈している。 

 一時期やくしまるえつこ氏がアニソンを盛んに歌っていたがこれもサブカルとオタクの近接の一環であろう。わけても「四畳半神話体系」は作品も含めてその成功例のひとつである。

 元来サブカルとオタクはメインカルチャーに対するカウンターカルチャーであるという点では共通していた。リア充であるか非リアであるかという点で枝分かれしたのである。丁度同じ天照大神を祖神としながら一方は天皇家、一方は出雲国造家と分かれたように、また同じ「近代主義」という親から一方では民主主義や資本主義が、一方では共産主義が生まれたように、一見対照的で犬猿の仲に見えても実は同じ穴の狢という例は意外と多い。キリスト教ユダヤ教とイスラム教とてその神は同じヤハウェなのだ(「アラー」は日本語で言う「神」であり、その固有名詞はヤハウェなのである)。 

 

 

 

 オタクのサブカル嫌いはいわば同族嫌悪だったのだろう。サブカルはリア充でありながら自分達オタクと同じくメインにファックした立場にあるがゆえに、嫉妬とないまぜになった嫌悪感をこじらせていたのである。内省的で内に内にへと籠もりネットにしか発露の場がないオタクにとっては外へ、リアルへと発信するサブカルは潜在的にうらやましく、ゆえに苛立たしかったのである。だがメインストリートを歩くことを拒み独自の裏路地を歩んでいたという意味では両者は同属であり、下北沢でベースを弾いていようが秋葉原で同人誌をあさっていようが、その根っこは同じなのだ。大量の缶バッジをつけているような活動的なラブライバーは決してオタクではなくリア充寄りの層であった。

  サブカルの一派として捉えられることの多いゴスロリであるが、ゴスロリを扱ったオタ作品などいくらでもあるし、ALI PROJECTはアニソン歌手と言ってもいいくらいにまでなった。分島花音氏もゴスでありながらオタクを兼任していた。両者の親和性は今さら語るまでもなく、耽美主義はひとつの血脈としてオタクカルチャーに根付いている。

 このような例は枚挙に暇がなく、今更並べ立てるのは避けるが、今やオタクとサブカルはよくかき混ぜられたカシスオレンジのように融け合い、最早分かちがたく、shithole大統領のように壁を作れというわけにもいかなくなっている。本来文化というものはそういうもので、ここからこっちはこう、ここからあっちはこうというように分けられるものでもなく、緩やかなグラデーションを形成するものである。

 いつまでもオタクはサブカルを嫌悪してもいられない。「君の名は」以降アニメ映画はリア充層を意識したつくりになっており、その傾向は今後ますます強くなるのであろう。アニメが市民権を得てきた結果である。そう、今日のこの状況はオタク文化が勢力を増してオタク以外の目にも触れられるようになった結果なのだ。

  今後商業アニメがそういう方向に進んでいくのなら、皮肉にもこれまでオタクのものであった、カウンターカルチャーであるはずのものがメインカルチャーになってしまうということである。思えばロックもヒップホップも同じ道をたどってきた。歴史は繰り返す。

 ではオタクがなすべきことはなんなのか。メインカルチャーに背を向けよりドープな世界を開拓するのがアイデンティティーであるオタクが向かうべきはどこなのか。

 そのひとつがセルフパブリッシング、つまり自己出版された電子書籍である。

 Kindleをはじめとした電子書籍には商業にはない自由さで創作された書籍が綺羅星のごとくあふれている。

 たとえばこの作品なんかがそうだ。↓ 

 

Kindle小説『ロリコン探偵仁とニック』
表紙