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ウィズコロナと創作物

『新潮』2020年8月号に掲載された筒井康隆氏の「ジャックポット」において以下のような文章があった。

「もう今までのような物語は書けもするまい読まれもするまい。(中略)今まであったような小説が読まれる日も必ずきっと来るとでも言うのだろうか。」

 コロナの影響でこうなると言っているのである。

 これにはどうにも違和感を覚えた。

 氏は小説や漫画、アニメ、映画と言った創作物は現実を反映させなければならぬと考えておられるのだろうか。現実を描写することが芸術の至上命題だとでも言うのであろうか。

 そうなれば言うまでもなくファンタジーやホラー、SFといったジャンルは全滅である。

 妖精やドラゴンなんていないし伝説の剣とか魔法もない。幽霊妖怪もタイムマシンもない。体長100メートルの怪獣など存在しないし巨大ロボットもない。

 少女が時をかけるわけがないし、日本以外全部沈没するわけもない(可能性は0では無いかも知れないが今のところ現実ではない)。

 そういったものは創作物であっても、あってはならなくなってしまう。

 創作物は現実を描けというのは筒井氏も批判してきた私小説、自然主義といったものではないか。

 無論創作物には現実を反映させなければいけない義務はなく、逆に反映させる権利もある。そこは作者の自由だ。純文学系であればウィズコロナを反映させることも多くなるのだろう。それもまた一興だ。

 だがそれ一色になるというのはどうにも考え難いしそうあってはならないと思う。登場人物全員マスク着用の漫画タイムきらら系など想像出来ないし、ソーシャルディスタンスを保ったハーレムものというのも考えづらい(ネタとしてはあるだろうが)。

 創作物の中ではコロナの無い世界線でもいいのである。創作物なのだから。時をかける少女がいてもいいし怪獣や魔法があってもいいように、コロナがあってもなくてもいいのだ。創作は自由だ。受け手もそれはわかっている。コロナが反映されていないからという理由で拒否するという者はまず居ないのではないだろうか(純文学であっても)。

 それは今後の未来においても同様である。

 今から10年前の漫画などを見ると登場人物が持っているのはスマホではなくガラケーであり、交換するのはLINEではなくメアドである。「時代だな」と思うことはあってもそれが原因で読まないということはない。そんなことを言っていては過去作品など読めぬではないか。漱石も芥川も現代人とは違う感覚や社会風俗などが満載である。時代が違うのだから当然だ。そこまでさかのぼらなくとも、80~90年代の作品なども今ではだいぶ前時代的に感じるものである。なれどそれはそういうものだと理解して見るものではないか。80年代にネットやスマホがないことはわかりきっているのだから、そこに違和感を感じて見ていられないということはない。当時を知っている者は懐かしく思い、知らない者は貴重な時代資料として見る。明治大正の私小説なども歴史資料として貴重なのだ。

 それはコロナにおいても同様で、(今後コロナ対応生活が半永久的に続くとして)将来「コロナ以前」を知らない世代が出てきたとしても、昔の創作物を鑑賞しないということはないだろう。当時を知る世代は「こんな時代もあったなー」と懐かしく思い、知らない世代は「こんな時代もあったのか」と思う。うらやましく思うかも知れないし思わないかも知れない。

 ちなみに小生のストックでは2、3ほどコロナを反映した小説の構想があるが、それ以外の数十篇では反映させていない。

 筒井氏が何故このようなSF作家らしからぬことを言ったのかわからないが、筒井氏への返答を兼ねて本記事の結びとしたいと思う。

 今までのような物語は書けもするし読まれもする。今まであったような小説が読まれる日も必ずきっと来る。だから安心してよい。時かけは売れ続けるのでご安心めされよ。