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「エモい」について考えてみた

いつだったか、Twitterでどこぞの御仁が「最近の若者は『エモい』という言葉ばっかり使って語彙力が無い!」といったことを述べているのを見たことがある。これに対して非常に違和感を感じたわけだが、これの文章化を試みてみたいと思う。

「エモい」という語が指す内容はなにも最近になって現れた新しいものではなく、人類が生まれた太古から存在する普遍的なものである。すなわち感情(エモーション)である。「エモい」は感情表現である

言葉の意味で言えば「叙情的」がそれに当たるが、エモいときに「叙情的!」などと言うやつはいない。何故か。「叙情的」は対象の状態をあらわした説明であって自分自身の感情表現ではないからだ。

 

では「エモい」の他の言葉で感情表現は出来ないのだろうか。

たとえば映画やアニメを見ていて血湧き肉躍るような胸熱展開を目にしたときにどう言えば良いのか。

「いやあ、まさかあそこで○○が出てくるとは思わなかったから驚いたよ。それと同時に嬉しくて胸が熱くなって叫びそうになったね。」などと言うのか。

だがこれは解説であり表現ではない。過去において自分に生じた感情を説明しているのであって表現はしていない。説明と表現はまったくの別物である。

感情とは今この瞬間リアルタイムに生じているものであり、それを表現出来るのはその瞬間しかないのだ。ではそれを行っているのはなにか。

涙であり笑いであり叫びである。先述の胸熱展開を目の当たりにしているリアルタイム時には「まさかあそこで○○が出てくるとは!思わなかった!驚いた!それと(略)」などとは言えまい。恐らく「うおおおおおお」とか「ほわあああああ」とか叫ぶしか出来ない。そして知らずのうちに涙が出ている。

こういった言葉に出来ない叫びや涙、笑いでしか本来的な意味での感情表現は出来ないのではないだろうか。よくTwitterなどで推しからいいねをもらったアイドルオタが「やばいやばいやばいどうしようなにこれうわああああ」などと錯乱していたりするが、言葉で表現しようとするからそうなるのだ。泣いたり笑ったり叫んだり飛んだり跳ねたりするしかないのだ。

「言葉は発せられた瞬間に過去のものになる」といったようなことが三島由紀夫の「金閣寺」に書いてあった記憶がある。言葉を発するにはどうしても「考える」という行為を伴うが、感情は考えるとはまったく正反対のものである。「考える」は自発的能動的な行為であるが、感情は外部の刺激によってもたらされる受動的な状態である。だからこそ制御出来ず、理性ではコントロール出来ず、理性の領域である言葉では表現出来ない。逆に自らそうしようと思わなくても勝手に出てくる涙や笑いは感情と不可分の、いわばかたちになった、「具現化された感情」と言っていいのではないだろうか。

 

 

 

 

では芸術で感情表現は出来ないのだろうか。

繰り返すが感情とはその時、その場所、そのシチュエーションだからこそ生まれる唯一無二のものであって、二つとして同じものは無い。同じ「悲しい」でもトイレットペーパーがトイレの水に浸かってしまったときの「悲しい」と一年以上更新のないpixivを見たときの「悲しい」は別物である。感情は今現在リアルタイムで生じているもの以外には無いのだ。

なので芸術において感情表現していると思われるものは実は、感情が過ぎ去った後の残り香を味わっているにすぎないのだ。

「あのマザーファッカーむかつくぜ。ラップにしてやる。」などと言ってギャングスタラップにしてみても、その時その場所で感じた感情の説明でしかない。その瞬間に放った「ファック!」という一言の方がよっぽど感情表現しているのである。

ギターのアドリブ弾きなどはその瞬間の感情表現をしているのではないかと思われるかもしれないが、あれはチョーキングの気持ちよさとか「おれの早弾きすげえだろ」とやっているのであって感情表現はしていない。

 

 

B'zの楽曲「さまよえる蒼い弾丸」の歌詞に、

血管の中が沸騰するような異常な事態(ステキな事態)

何も食べないで眠らないで思い出してみて

という件があるが、この「血管の中が沸騰するような異常な事態」というのが「エモい」状態である。言うまでも無いがB'zはその説明をしているだけである。

 

結句 

考えるという行為を挟まず瞬間的に出せる「エモい」は涙や笑い、叫びなどと同じ感情表現であり、語彙などというもので代替出来るものではない。冒頭の御仁が「最近の若者は『エモい』という言葉ばっかり使って語彙力が無い!」などと言っておられるのはなんという傲慢か…というよりなにか勘違いされておられるのである。

筆者が先日自動車の窓を開けて農道を走っていたとき、飛び込んできた草葉のにおいを感じて瞬間的にエモいと思った。それ以外に感情表現は出来ない。「いいにおいだ」は単なる描写である。そこにはいいにおい以上のなにかがあり複雑に感情を突き動かしているのでエモいと言うしかないのである。

 

蛇足

現代における「エモ」の体現者と言えば萌黄えも氏である。氏の代表曲と言えば「スキスキセンサー」である。


スキスキセンサー フル 6話編集

 

その歌詞を見てみると

 

ココロがうずいている「Yeah Yeah!」
今 とてつもないなにかキャッチ!
コドウがうるさいんだもん
理由なんて それでいいじゃーん

 

・・・・・・

 

なんかなんかいいカンジ マジ? マジ?
自分だけのFeeling いえーい!
明日(あした)のトレンドはそう
すけ感? たけ感? …直感!

 

感情を言葉で表せないもどかしさが伝わってくる。こういうときは彼女のように「エモい」と言うしかないのだ。